ビルメンができるコロナ対策。残り232日

新型コロナウイルス、いよいよやばい。

日本は戦争後、政府の強制力に対してアレルギーを持つ人が多く、政府も強い発信を出来ていない状況である。

1番効果的なのは、人の動きを止め接触人数を限定することで感染の速度を和らげると共に、感染ルートを明確化することであるが出来ていない状況だ。

日本の感染者がクルーズ船に限定されていた頃は、
訪日外国人減少に伴う経済損失ばかりが報道されていたと思う。

しかし、欧米諸国に蔓延し、医療現場の悲惨さや身近な人々が苦しむ様を見て様子が変わってきた。

それでも大人数の合宿をしたりするというお花畑な思考をする人々もいる。

そして、ビルメンはビルを守る人として、今日も出勤する。

アタクシはビルメンを引退する身であるが、
これまでの経験からビルメンができるコロナウイルス対策を考えたい。

その1
通勤方法を見直す。
出来るだけ公共交通機関を避け、バイクや自転車で通勤した方がいい。
電車に乗る際も、出来るだけ人との距離に気をつける。

その2
手洗いうがいの徹底。
仲間や家族、そして自分自身も感染者として過ごす。
工具やドアノブに触ったら手を洗う。
人と話す時はマスク着用。
など出来るだけリスクを減らす。

その3
最小人数で出勤する。
普段4人現場で回す現場でも、2人現場や最悪1人現場で回すなどして、人との接触を避ける。
これはオーナーや所属会社の決断もいることだけど、
感染すると全滅、接触がなければセーフなので、
ローテーションも同じ人と回し、混在させない方が
感染リスクを防げる。
若い人は発症しても比較的元気なことが多いので、
若い人と年寄りを組ませないなど配慮が必要である。

その4
空調機の外気は出来るだけ取り入れる。
換気が重要なので外気を多めに取り入れる。
熱交換の効率が悪くなるので電気代や燃料代がかかるかもしれないが、コロナリスクに比べれば安い。

その5
有休を使う。
有休がある人はここぞとばかり使う。
みんなで使うことで出社人数を減らすことが出来る。
唯一の予防は人と会わないことなのだ。

その6
休日は家にこもって電験の勉強。
夜や休日は家にこもってここぞとばかり電験の勉強をする!

アタクシの日記を読んでも良くてよ!
(>_<)



こんな感じで自分なりに対策を考えて見ました。

ビルメンはビル設備とビル環境を管理して
ビルに働く人の健康や労働環境を守るのが仕事だと思ってます。

ビルメンの皆さんで出来るコロナ対策はしましょう!

コロナの過ぎ去った後にはバブルが来ると思ってます。
みんなで生き残りましょう。


今日で平成13年~平成17年の過去問が終了した。
そしてノート10冊目終了。
11冊目に突入した。



電験、勉強、志村けん、追悼。残り234日

コロナウイルスの感染者が日に日に増えてきた。

気になるのは芸能人の感染者が増えてきたことだ。

恐らく、水面下では多くの感染者が活動してばらまいているのだろう。

アタクシは電車に乗って
まだ会社に行かないと行けないので、リスクが高い。

周りには咳をする人も多くなってきた。

塾通いの子供が満員電車で咳をする。
マスクなどしていない。

無神経な親の顔を見たいと思うし、
それ以上に恐怖しかない。


アタクシはこの日記を通して、
土曜日のルーティンを何回か書いてきた。

日本昔ばなしからのクイズダービー、
ドリフで笑ってGメンを見る。

テレビの前でシムラー、うしろーうしろー!って何回叫んだことか。


人生の中で1番幸せだった時代だった。

大好きだった志村けんが亡くなってしまった。

今、喪失感が半端ない。

油断すると涙が出てくる。

アタクシは精神的に脆いほうで、死への恐怖にとらわれることが度々あった。

それを紛らわせてくれたのはお笑いだった。

笑いは副作用のない精神安定剤である。

志村けんの密着番組を見たことがある。

画面の中では楽しく仕事をしているようだったけど、

撮影以外の日はネタ作りに勤しんでいた。

確かに夜は遊んでいたかもしれないけど、
多分笑いのヒントもそこから得ていたのかもしれない。

笑いの中にあるストイックさを見た時
アタクシは志村けんの中にある職人さを見出し、
尊敬に変わった。

アタクシの電験の勉強もそこら辺を参考にさせてもらっている。

物事に一途なのは何より強く美しい。

そこに気づかせてくれた、
志村けん、ありがとう。


東京も陥落前で、やがてウイルスは地方に広がるだろう。

自分がうつらないための努力から、
他人にうつさないための努力にシフトしたと思う。

芸能人の中には、自粛なんてクソ喰らえ、
イベントするぞというどうしようもない人達も居る。

笑えないし1ミリも尊敬出来ない。

不安ばかりじゃいけないから、

未来に向けての電験の勉強も継続する。

第1に生き残った時のことを考える。

今日は平成15年が終了した。
1日に1年過去問。



合格ハチマキを締めて勉強しているので
何とかペースを保てている。



ビルメン生活15年間を振り返ってみて。残り237日

もうすぐアタクシのビルメン生活も卒業である。

これまでアタクシがどんな感じで過ごしてきたかを、資格取得をたどりながら振り返りたい。

アタクシは30過ぎに電気工事士会社に就職した。

その頃はまだ独身であった。

入社してすぐに結婚して、電気工事会社2年目に
子供が生まれて、家を購入して会社を辞めた。

転職、結婚、子供誕生、家購入という
とても濃い2年間を過ごした。

サービス出勤やサービス残業超過で子供と触れ合いないことから、精神的にも不安定になり、
親友の紹介でビルメン会社に転職をした。

それが15年前のことである。

転職直後は電気工事士と危険物しか持っていなかった。

その年の8月にボイラー二級取得してと11月に2冷冷凍機を受け1月に免状を取得した。

ビル管理の試験は2年間の実務経験が必要とのことだったので、

翌々年にビル管理の試験、いわゆる建築物環境衛生管理技術者を取得した。

三セット+ビル管理を取得するとビルメンとしては一丁前であり、
ビルメンの給料が安いということも短期間の資格取得のモチベーションになった。

アタクシにとって資格取得は生活費だった。

当時の電気主任技術者の定年をうけ、
電気主任技術者を目指すことにした。

資格手当は安かったけれど、
電験取得は電気工事士受験を決めた時からの
悲願でもあった。

ビル管を取得した後もちょこちょこ電気の勉強をしていたけど、本格的に勉強を開始したのは、
ビル管理会社に入社してから5年ほどの月日が経っていた。

今から遡ること8年前のことである。

元々高校の時は数学が全然出来なくて数字との関わりを避けて生活していたので、
電験数学の習得には熾烈を極めた。

2000時間ほどの勉強でなんとか電験が取得できて、電気主任技術者に選任され現場の主任になった。

電験まで取得すれば
もうビルメンとしては安泰である。
勉強ともおさらばしようと考えると思いきや
電験3種挑戦2年目にはすでにエネ管理の過去問を手に入れていた。

一生懸命勉強したエネ管もやはり2年かかり、
エネ管理取得の翌年に電工一種と消防設備士、
その翌年に一級施工管理を取得した。

年齢と資格と勤続年数で主任になったものの
自分はまだまだ未熟であるとの思いから勉強を続けた。

電験2種の勉強を開始したのも電験3種で問われた範囲を完璧にマスターするという目的があった。

しかし独学で勉強を続けても続けても、自分が未熟である、下手するとお山の大将みたいな存在なるという不安は消えなかった。

身近にお山の大将と化した半面教師的な存在の人がいたのだ。

今勤務している建物の取り壊しが決定し、
年齢からくる将来の不安も増した。
いつのまにか相談する方を飛び越え、
相談される立場になった。


電験2種の二次試験が終了した昨年の12月から転職が活動を始めた。

そしてアタクシの
ビルメン生活もそろそろ終了する。

15年間のビルメン生活を振り返っても、
低所得脱出のための資格取得ということだけしかない。

今まではいわば保険のための、守りのための資格取得だった。

電験2種はどちらかというと攻めるため、
生活環境を大幅に変えるための資格だと思う。

生活を今のまま変えなくてもいいと思うならば
無理に取らなくてもいい資格なのだ。

技術的に未熟なのは勉強しても変わらないかもしれない。
それを変えたいという思いをもってこれからも仕事に勉強に精進したい。

平成13年の過去問に突入したが、
初見の気分がする。


つづく。