推しを応援出来ない事情。残り246、330日

いつの日からか、
自分は推しを応援出来なくなってしまった。

例えば、オリンピックの日本代表とか、
サッカーとか野球とかあらゆるスポーツ、
コンテストなど、自分が贔屓とするチーム、
団体をリアルな時間で応援出来ないのだ。

自分がリアルタイムで応援すると負けてしまう
というジンクスもあり、
悪い気がするというのもあるし、
何よりリアルタイムでハラハラするのが苦手である。

負けてしまったのを見た時、
心そこ悲しくなるというのもひとつの理由だ。
ニュースを読んでオロオロと泣いてしまうのだ。

卑怯でもあるかもしれないけど、
結果だけを見て、こっそり喜ぶことにしている。

結果が約束されている物語ほど、
落ち着いて楽しめるエンタメはない。

嬉しい記事は何度も読むので、
推しがいないわけでもない。
嬉し泣きをすることもある。

現場の応援は熱量のある他者に任せている状況である。

根底にあるのは、自分の考え方の軸である、
「他者の本質は変えることが出来ないが
自分は変わることが出来る。」
ということ。

この考えを持つと
他者に対する怒り、妬み、恨みなどが消える一方、
他者に対して応援、助言、期待などが出来にくくなる。

応援しても、本人がやらんと仕方ないでしょ?
とどこか冷めた考え方になってしまうのだ。
かと言ってこっそり応援しているのだがw

しかし、
インタビューでよくありがちな、
応援が力になりました、
ありがとうございました。
というセリフはその通りなんだろう。

アタクシだって応援されて悪い気はしない。
むしろありがたい。

やはり、他者を面と向かって応援出来ないのは
自分が傷つきたくないだけの
卑怯な考え方なのかもしれない。

困っている人が直接助けを出してきたら、
もちろん手助けするし、挑戦しているのを見ると
こっそり応援している。

成功したら嬉しいし、おめでとうって言いたい。

伝わらないかもしれないけど、そんな毎日を生きてます。












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