底辺なりに幸せについて考える。残り251、335日
2022/12/10 16:05
妻がふと私には自由がないと言った。
自分はこの言葉に衝撃を受けた。
妻は専業主婦である。
妻が働くことをアタクシが規制したことはなく、
もし働いたとしてもお金は一切生活費に入れず
自分の好きなことに使っていいと言っているが
パート、アルバイトをする様子はない。
睡眠時間は私の2倍ほどある。
自由を作ろうと思えばそれこそ
いくらでも使える状況である。
家も妻の欲しい家を購入したわけだし、
妻用の車だってある。
私の給料や家の家賃収入も全て彼女が管理している。
お金も時間も自由に使えるので、
かなり恵まれていると思っていた。
羨ましいと思った。
世間一般的には夫婦共働きで
ローン返済や学費を稼ぐために
一生懸命なんだよと言ったところで
妻がそう思うのだから仕方ないのだろう。
私は平日は仕事、
休みの日は妻の運転手として
どこそこ行っているわけで、
それこそ自由な時間はないのだけど、
妻ががそう思うのだから、
以下略。
とにかく、
妻がそう感じているのだから、
アタクシからとやかく言う必要もなく、
そういう気分にさせているのだから、
つまりはアタクシに甲斐性がないのだ。
ここで思いだすのが、幸せについてである。
自分が一番幸せを感じた瞬間は
ハッキリと覚えているし、
生涯忘れることは出来ないだろう。
20数年前、
電気の仕事をするために
一旦無職になり、ポリテクセンターという
職業訓練校に通っていた。
午後授業が終わるとまっすぐ家に帰って、
母と犬の散歩に行く。
夕暮れの田舎道、母と犬と散歩しながら、
あー、今自分は幸せだと実感したのだ。
お金も自由に出来ない、
職も決まっていない
そんな状況にいながら
強烈に幸せを実感したことは、
今でも不思議でならない。
その経験から、
幸せの尺度は、
経済的な余裕ではないことが
ハッキリとわかった。
年収が低くても、
精神的な自由があると思えれば
幸せなんだと感じる。
私は働きながらもお陰様で3時間も
自由になる時間がある。
妻は睡眠時間を除いても
6時間はあるのかもしれない。
6時間しかないと感じているのだろう。
いや、6時間あると気づいていない可能性もある。
「絶対欲しいものは手に入れてはならない。
手に入れた瞬間が幸せのピークになるから。」
というのはアタクシの人生哲学である。
ポルシェは欲しい、
乗りたいがこれを手に入れることは一生ないだろう。
時計もオメガやロレックスが欲しいけど買わない。
それでいいのだ。
欲しい物や憧れがあるという状態が
自分にとって一番精神的に幸せであると
知っているから。
自分は何をしている時が幸せなんだろうと、
たまにはボッーと考えるのもいいだろう。
案外その瞬間が幸せだっりするもんだ。
幸せを感じる瞬間を物的欲求を満たすことではなく、
自分自身の成長の認識などに振ると
少しでも幸せを感じる時間が増えるかもしれない。
新しい物を簡単に買うのではなく、
古い物をやっとこさ修理出来た時の喜びも
幸せの一つだ。
幸せの尺度も人それぞれ、
考え方1つであるけれど、
アタクシはその尺度や考え方を
他人に強制するつもりはない。
人はヒト。
自分は自分。
だよね。
自分はこの言葉に衝撃を受けた。
妻は専業主婦である。
妻が働くことをアタクシが規制したことはなく、
もし働いたとしてもお金は一切生活費に入れず
自分の好きなことに使っていいと言っているが
パート、アルバイトをする様子はない。
睡眠時間は私の2倍ほどある。
自由を作ろうと思えばそれこそ
いくらでも使える状況である。
家も妻の欲しい家を購入したわけだし、
妻用の車だってある。
私の給料や家の家賃収入も全て彼女が管理している。
お金も時間も自由に使えるので、
かなり恵まれていると思っていた。
羨ましいと思った。
世間一般的には夫婦共働きで
ローン返済や学費を稼ぐために
一生懸命なんだよと言ったところで
妻がそう思うのだから仕方ないのだろう。
私は平日は仕事、
休みの日は妻の運転手として
どこそこ行っているわけで、
それこそ自由な時間はないのだけど、
妻ががそう思うのだから、
以下略。
とにかく、
妻がそう感じているのだから、
アタクシからとやかく言う必要もなく、
そういう気分にさせているのだから、
つまりはアタクシに甲斐性がないのだ。
ここで思いだすのが、幸せについてである。
自分が一番幸せを感じた瞬間は
ハッキリと覚えているし、
生涯忘れることは出来ないだろう。
20数年前、
電気の仕事をするために
一旦無職になり、ポリテクセンターという
職業訓練校に通っていた。
午後授業が終わるとまっすぐ家に帰って、
母と犬の散歩に行く。
夕暮れの田舎道、母と犬と散歩しながら、
あー、今自分は幸せだと実感したのだ。
お金も自由に出来ない、
職も決まっていない
そんな状況にいながら
強烈に幸せを実感したことは、
今でも不思議でならない。
その経験から、
幸せの尺度は、
経済的な余裕ではないことが
ハッキリとわかった。
年収が低くても、
精神的な自由があると思えれば
幸せなんだと感じる。
私は働きながらもお陰様で3時間も
自由になる時間がある。
妻は睡眠時間を除いても
6時間はあるのかもしれない。
6時間しかないと感じているのだろう。
いや、6時間あると気づいていない可能性もある。
「絶対欲しいものは手に入れてはならない。
手に入れた瞬間が幸せのピークになるから。」
というのはアタクシの人生哲学である。
ポルシェは欲しい、
乗りたいがこれを手に入れることは一生ないだろう。
時計もオメガやロレックスが欲しいけど買わない。
それでいいのだ。
欲しい物や憧れがあるという状態が
自分にとって一番精神的に幸せであると
知っているから。
自分は何をしている時が幸せなんだろうと、
たまにはボッーと考えるのもいいだろう。
案外その瞬間が幸せだっりするもんだ。
幸せを感じる瞬間を物的欲求を満たすことではなく、
自分自身の成長の認識などに振ると
少しでも幸せを感じる時間が増えるかもしれない。
新しい物を簡単に買うのではなく、
古い物をやっとこさ修理出来た時の喜びも
幸せの一つだ。
幸せの尺度も人それぞれ、
考え方1つであるけれど、
アタクシはその尺度や考え方を
他人に強制するつもりはない。
人はヒト。
自分は自分。
だよね。
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