不登校児について思うこと。 残り108日

日本は、おそらく日本に限らずとも
「当たり前のことが当たり前に出来ない人間」
に対してものすごく風当たりが強い。

多様性を認める社会を目指しているが、
いざ少数側に回った時の息苦しさはなんなのか。

我々が最初に当たり前を強制させられるのが、
学校教育である。

アタクシは学生時代をほぼ皆勤で過ごしてきた。

不登校の人たちもいたけれど、
(今ほどは多くなかったとは思うけど)

彼ら、彼女らが、何故に学校に来ないのか、来れないのか不思議でならなかった。

自分には絶対に縁がない世界。

学校はみんな当たり前に行く所だ。と
そう疑わず生きてきたのだ。

子供ができ、成長すると何故か幼稚園に行くことを拒み始めた。

だけど抱っこしたり、手を引いたりして何とか連れていった。

子供はお菓子や遊びで釣られるので、結構簡単である。

小学生になり、学年が上がるにつれ徐々に学校に行くことを強く拒み始めた。
お菓子や遊びでも釣られない。

自分はただの甘えだと思って、結構つらく当たっていた。

おそらく、不登校児童を経験した親なら当たり前の行動だと思う。

何故学校に行かない?何故当たり前のことが出来ない?と背中を押しながら学校に連れて行くと、

当時の担任の先生が、無理に学校に連れて来てはダメですよ。学校に何故行けないのか、本人もわからない子供もいます。

と仰ってくれた。

この先生の言葉をきっかけに、自分の子供が知らず知らずのうちに心にダメージを受けていたのだと気づいた。

いろんな不登校に関する本を読んで不登校児童の子供の気持ちを理解しようと努めた。

いろんな所に相談して、いろんな手段を講じた。

改善はしなかった。

改善はしなかったけれど、自分の心の中で、
不登校児童の印象が180度変わった。

不登校児童に関するイメージ、対応は人によって
真逆であり、それは先生達の中にも言えることである。

無理はしなくていいよ声をかけてくれる先生や、
親の教育が悪いんだと何回も学校に呼びたず先生もいる。

スクールカウンセラーを受け、カウンセラーのアドバイスに従い行動しているのに、

あなたの子供はおかしいから精神科に連れて行ってはどうかとも言われる。



自分自身、もしくは自分の子供、自分に近い人物が、実際に不登校児童や鬱などを経験しないとわからないのだ。

ここに不登校児童問題に関する闇があるのだろう。

元不登校児童のその後が気になり、
ある学校に見学に行った。

不登校児童だったとは信じてもらえないくらい、その学校でその生徒達はキラキラしていた。

こんな陽キャ達とはうちの子供は仲良くなれないと思ったが、ほとんど学校に行けてなかったという。

うちの子供とも不登校あるあるですぐに打ち解けた。

環境を変えれば、人は変われるのだ。

それと、人生は学校に行くことだけが全てではない。

たまに学校の前で子供を叩いてでも連れていこうとする親に出くわすこともある。

見ていて本当に心が痛い。

心が親、先生、心がきちんと通わなければ
解決は無理であるし、多くの時間がかかる。

「当たり前のことが当たり前に出来ない人もいる。」

これに気づけたのが子育てによる大きな収穫だ。

そして、社会に順応出来にくい人たちでも、きっと適材適所で活躍出来る。

自分も歳をとり、経験を積みこれからは、
指導的立場になるが
そういう人たちを活躍させるリーダーになりたい。


電験2種勉強日記

本日は3時に起床して理論の問題を解いた。

達成度が79%

あと少し!




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