いろんな解き方。残190日

よく理解できない時、出版者の違うテキストで
調べると全然違う解き方が載っている場合がある。

そして、こういう解き方もあったのか!

と気づく。

ひとつの本で完結するよりいろんな本を持っていた方がいい。

だけど1冊4000円は確実にするので、

なかなか手が出せない。

アタクシも、徐々にテキストを増やしてきた。

例えば、
キルヒホッフな考え方は、どこを基準に取るかで、式がかわる。

それは矢印の方向にもよる。

紙田先生の書かれた本にはその基準についての重要性が何度も述べられているが、

本当に大事なのである。

結局電気の計算は、過去があって、現在があって過去がある。

この流れを計算するものであり比較なのだ。

比較をするには基準がなければならない。

上手く計算の式を作れる人はそういう流れを観察出来る人なのであろう。

属性を分類しそれを比較する。

これが出来るか出来ないかの差が計算問題の得意不得意になるのだと思う。

残念ながらアタクシはそれがまだ出来ないみたいだ。

苦手だ。

基準が感覚的に掴めないから式を立てることが出来ない。

ベクトル図を描けない。

公式を覚えられない。

解けるようになった問題を見ていると、

基準がわかる。
いつの間にか流れがわかるようになっている。

恐らく、
絶対音感みたいなものが、物理にもあり、
この式の立て方だと気持ち悪い。

そう考える人達がいるのだろう。

電験2種や1種を短時間に合格する人はそういう感覚が既に身についている。

アタクシは鈍い。

物理的な感覚が狂っている。

それを正常に戻すべく日々勉強をしているのだと思う。

西から昇ったお日様が東に沈む。

こんなことが仮にあったとすると

多くの人が疑問に思う点だが
自分は平気でスルーしちゃうのだ。

それが電験の問題の中で起こっている。

では自分でやれることはなんなのか。

出来るだけ多くの時間を割いて、

多くの問題に触れ、自分の中の常識を再構築していく。

これだ。

結局やらなきゃだめなのだ。

やるしかないのだけど、
何故やらないとダメなのかがわかっている方が、

自分的には心が穏やかである。


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