電工時代の思い出。残り174日、264日

たまには原点について考えてみる。

それもいいかもしれない。

自分の電気との出会いは、第2種電気工事士を独学で取得したことから始まる。

当時は、試験問題が事前に公表されてなくて、
材料セットのようなものもなく、
とも巻き結線とか、捻り結線とか普通に出題される時代であった。
(とも巻きの部分は電コネになる過渡期)

3回ぐらい実技試験を受けてやっと合格できた。

年に1回の試験。3年かかったと思う。

塗装工をしながら電工の勉強していたので、合格する頃は塗装もある程度出来るようになっていた。

資格を取得したのでビルメンなどに就職しようとするが、未経験がダメなのかなかなか転職出来ずに
仕事を辞めハローワークからポリテクセンターに入校した。

そこでは電気工事の資格取得を目指すという内容だったけれど、持ってないことにして入校させてもらった。

ポリテクセンターの卒業間近に家の近所の電気工事屋に就職した。

家庭用太陽光発電の点検をやることになった。

先輩は家庭用太陽光発電工事の施工監督をしていて、
自分は先輩の補佐も担当した。

某巨大パネルメーカー側の監督との最初の顔合わせで言われたことはハッキリと覚えている。

「人には上下はないと習ったよな?人間は皆平等だと。だけどちがうけ。おれとお前は明らかに上下がある。
俺が上でお前が下。そこをわきまえろ。」
この言葉を、
自分は今度○○電設に入社した、なになにです。
という言葉の返しに言われたのだった。

凄い所に来てしまったと思った。

しかし、その頃は結婚したばかりで
妻と赤子がいたので辞める訳にもいかない。

自分の後輩になるべく人がそれから数人入社したけど、
この○○さんとの最初の会話で1週間以内にいなくなる。

結局辞める寸前まで自分には後輩が出来なかった。

この○○さんの同僚もなかなかの人達だった。
全員広島の方々で、アタクシ、丁度
仁義なき戦いを見ていたんだけど、
全くあんな感じで脅しというか話してくるのだ。

なかなか過酷な毎日だった。

そんなヤクザな感じの現場監督を相手にしながら、
こっちは下請けの電気屋さんや職人さんを使って仕事しなくちゃならない。

現場に入ってわずか1ヶ月ほどで、自分の先輩が辞めた。

数年前から辞める辞めるといいながら仕事していたそうだが、後か続かなくて
自分が1ヶ月持ったので先輩は辞めることができたのだ。

現場経験も技術もない自分が、現場監督をすることになった。

規模は小さいんだけど、
太陽光発電のパネルを設置する業者、電気工事業者、水道屋さんを引き連れて1日で終了させる。

何もかも未経験だったので、最初のうちは業者さんに工事を教えて貰っていた。

業者さんがミスをすると、全部自分の責任にされて、
例の広島弁でかなり怒鳴られ、反省文を書かされる。

夜の22時、会社のファクシミリから事故報告書と対策書を書いて送るというのを何度もした。

自分の仕事内容は
①現場調査、
材料を洗い出し、配線をどのルートで通すか、
壁に入線出来るか、出来ない場合のダクト工事のルート。引き留め金具は適正か?など材料手配。
水道部材の洗い出し。
水道管の種類や施工方法を検討、材料手配。
パネルの施行において、予備瓦の手配、屋根の垂木調査
など

②電力会社にお客様設計図作成、提出、連系日の調整。

③職人の手配。後半電気工事屋さんが逃げてしまって自分が工事屋さんになったこともある。

④施行日当日の現場管理。1日3現場ほど同時にうごくけど、自分が見ていない現場で何かあっても自分の責任になる。

⑤月の初めは現調がおもなので、午前中は太陽光発電の1年点検。自分でアポをとり、ひたすらお客様の家を回る。

というような、一体何人分の仕事をやってるんだというようなことを1人でやっていた。

お昼ご飯も食べる暇なんかなくて、運転中に食べながら移動する。

朝の7時20分朝礼、夜は毎日21時頃まで働く。

朝礼から、現場入場、現場仕事しながら、たまに現調や点検で抜け出し、取り付け終了後、お客様に取り扱い方法を教える。

PVモニターの見方やら、IHの使い方、電気温水器の使い方とか。

会社に帰ってきたら、あと片付け。

次の日の荷物の積み込みや材料洗い出し。買い出し。

そして、お客様設計図を書いて、始末書があればそれを提出など。

とにかく1日1日があっという間だった。
月に2日ほど休めたのか。

それでも休日出勤手当や残業代はなかった。

これはまずいということで、
残業は事前に社長に残業しますという事前届けを出して許可がでれば残業代が出る決まりになった。

残業しますって意気揚々と申告した同僚が、
「最初から残業するってお前は気合いが足りないのか!」

と怒られてる様子を見て、誰も事前に残業届けなど出す奴はいなかった。

当時は笑っていたけど、今思うと全然笑えないブラック
コントである。

仕事でクタクタになって帰ってくると、
他の現場(水道工事もやっていた)に駆り出されることも何度もあった。

建設中のマンション一室一室に便器を運ぶ仕事はかなりきつかった。

道路の漏水により緊急出動とかもあった。
冬の漏水は冷たい。

わずか2年の経験だったけど、
1日12時間以上働いていたので、4年分の経験は得られたんだと思う。

家庭の電気工事、IH工事だとか、電気温水器の工事だとか、分電盤切り替えだとか、コンセント増設だとか、
入線だとか一通り出来るのもその頃の経験があるからだと思う。

今もこの会社は存続していて、かなり大きな会社になっている。

会社の半分以上の売上を上げてきたつもりだったけど、社長からはお前の給料分赤字って言われていた。

月20万のお給料のアタクシが
多い時は1000万は純利益上げていたはずだけど赤字ってどうなの?とは思った。

そして、その言葉も辞めるきっかけになったし良かった。

当時の人は誰も残っていなくて、
自分が残っていれば部長かなにかになっていたはずだけど、
多分体が持たなかったであろう。

辞める前はかなり前向きに仕事するようになったせいか、かなり立ち回りがよく動けるようになった。

広島弁のヤクザみたいな監督とも仲良くなれて、
○○ちゃんとあだ名で呼ばれるようになっていた。

初めて関係改善できたので、次の担当者からは楽に仕事が出来たと思う。

自分がいなくなると、
職人さん中には、この仕事から手を引くって言っていなくなった人もいたようだし、
それなりに慕われたのかもしれない。

この会社でかなり、怒られたのでどうすれば怒られないようになるかということを学んだ。

それを次に記したい。