これからの技術者としての生き方を学ぶ 残り 189日、274日

お前らの技術力はまだまだ低レベルであーる!!
勉強してこい!!!

という本社からのお達しで、東京方面に出張してきた。

実際、我が会社に限らずとも
電気主任技術者も意識が高い人はほんの一部で
試験合格したら、それ以上は勉強しない
という人が大半ではないかと思われる。

そもそも電験の勉強をするかしないかでそうでない人との差はついているんだけど、
合格者の中でも現場で抜け出る人は一部である。

講師が最初に電験の種類なんてどうでもいい。
単純に扱える電圧がちがうだけで、一種だから優秀とは限らない。
一種だからとふんぞり返っている技術者が一番嫌いだ。と仰っておった。
アタクシもそれは避けたい。
日々是勉強。

そんなこんなで講習が終わり本日やっと家に帰ってこれた。

電験の勉強は一週間ストップしてしまったが、
これから、何をどう学ぶか、電気主任技術者としてどう生きるかということを考えるきっかけとなった。

恥ずかしい話、電験の勉強が試験合格の手段となっていた。

そうなってしまうと、理論と技術が別個のものとなってしまい、電験の勉強自体、実務に不要と考えてしまう。

少なからずアタクシはついついそう思ってしまう。

しかし、電気の事象、事故原因、トラブルなどを追求していくと、まさに今、勉強している知識を使って解決しないといけないということを思いしらされた。

これって、勉強する度に何回も何回も現場技術と計算の融合に意識を変えなければと思っているんだけど、
勉強に集中するとスルっと抜けてしまう。

純粋に電気のことを知りたい。

自分の分からないことが何かを知りたい。

というふうに気持ちを変えなければと勉強の意味がないと感じる。

電池を繋げは豆電球が光ることを学んだあの初心に帰りたい。

講師の引き出しの数は半端なかった。

電験2種の教科書レベルのことを何も見ずにスラスラ解説しておった。

出だしこそウーンとか瞑想が入るけど、話し出すと止まらない。

次から次へと話しが繋がる。

タメになったし面白かった。

電験勉強の大切さがわかった。

現場技術と計算と。

我々は会社に追い出されることがあったとしても、
なんとか、電気主任技術者として食べていけるよう
これからも精進しなければならない。

きっと自分が電験に合格した時は、
技術と理論がシンクロしているんじゃないかとおもう。













早朝型に戻すことにした。残り188日、273日

早朝型から深夜型に移行して一年が経過した。

なぜ、深夜型にしたかは思い出せないが、

多分睡眠時間確保だったような気もする。

最近、勉強を始める21時ごろに眠くなるということが多く、

集中して計算が出来ない頭に入らないということも出てきた。

電験寺といえば早起き。

原点は3時に起きてコツコツ勉強というスタイルだ!
ということで

原点に戻ることにする。

自分の場合、深夜型から早朝型に変えるのは簡単。

思ったその日から早起きするだけだ。

早く起きたら、夜眠くなるはずなので、

今日は早く寝る。

全然眠れなくても翌日は強制的に早く起きる。

おそらく3日ぐらいたてば、早朝型になるだろう。

1日の流れはこうだ。

4時起床。
2時間ほど勉強。
6時出社のための支度。
7時に家をでる。

18時帰宅。
20時頃までご飯とお風呂。
21時頃まで勉強。
眠くなったら寝る。
23時までには完全に寝る。

睡眠時間は5時間~7時間は確保できそう。
そして、勉強時間は3時間以上は確保できそうだ。

最近、寒さも和らいできて、
おそらく何回か寒波を経験すれば
暖房も要らなくなるだろう。

試験の日も早く寝付くようになっていれば、
一睡もできずに試験を受けるという、
昨年のような失敗はしないでも済むかもしれない。



このような感じ。

一次試験まで残り27週間。
二次試験まで残り39週間。

9日で1冊ぐらいのスピードでノートを消費する予定だ。













東京を歩く、いろんなことを考える。残り186日、271日

東京の駅、次の目的地に向かって歩く。

雑踏に流される。

多数の電車を乗り換えたが電車を待つことはない。

ひたすらドアからドアへ機械的に歩く。

いろんな方向からいっぱい人が歩いているのにぶつからない。

上手いこと離合するもんだ。

周りがみんな感情を持たないロボットに見えた。

例えば今、怪獣か何かが出現して、みんなを踏み潰したとしても、

それを見ている人達は何も思わないんだろうか、

この人たちは果たして逃げるのだろうかと、

自分が画面の中の情景の1部になったように錯覚する。

電車に乗り、流れる景色をみていると、家族を思い出した。

この人たちもそれぞれ家族がいるんだよなぁという気持ちが降りてきた。

何となく自分の心にも人間らしさを取り戻した。

自分にも毎日毎日満員電車に乗り会社に行く未来があったのかもしれない。

その時は何を思って会社に行っていたんだろうか。


家に帰り、iPhoneの設定をいじっていると、
ふと気になる設定項目があった。



故人のアカウントの連絡先とある。

そういえば、20年前に親友がら亡くなった時に、

親御さんの依頼でYahooのプレミアム会員の課金を停めたことがあったなと思いだした。

アタクシも年齢的にそういう準備をしなければなと思う。

しかしなかなか踏み出せないのは、
自分はまだまだこの世の中に未練があるみたいだ。

アタクシの人生観は、あんまり楽しく生きてしまうと、
死んじゃうのが辛いだろうから、
そこそこ苦しさも味わっておかなければ!というスタンスである。

親友が亡くなってからの20年間、勉強を続けているのもそういう理由である。

いつの間にか心そこから何かを楽しめなくなったのだ。

自分は死ぬまでずっと何だかの努力は続けたい。
毎日1回は辛いなぁと思いたい。

嬉しいことはほんの少しだけでいいと思っている。

人が死んでしまうのは突然かつあっという間で、
残されるのは大量の遺品である。

それを知っても、
物は自分をこの世に繋ぎ止める鎖みたいな気がして、
なかなか捨てることが出来ない。

電験との戦いが終了したら、ある程度は処分しようと思う。

朝活を再開して3日目。

習慣化に成功したようだ。

4時起床。
4時から6時までは、
電験2種2次試験対策。

帰宅後の
20時から22時までは、
電気計算とそのほかのテキストなどで
理論対策だとか、底上げ対策をする。

電気計算は定期購読を始めた。
3種やエネ管の問題も連載されいて、
復習にもなるし、
最新の電力事情もあるから、論説対策にもなりそう。

電気書院さんに昨年の12月号から1年間定期購読出来ますか?
と問い合わせたら、出来ますよという事だったので、
お願いした。

昨年の12月号から今年の2次試験対策が始まるし、
今年の12月号は、2次試験終了後に届くので、あまり意味ないのだ。


あえて2年分買わなかったのは、もちろん、この1年で決めようと思っているからだ。

しかし一気に4冊相手しないといけないので大変!
てか、もう4ヶ月たったのね。













電工時代の思い出。残り174日、264日

たまには原点について考えてみる。

それもいいかもしれない。

自分の電気との出会いは、第2種電気工事士を独学で取得したことから始まる。

当時は、試験問題が事前に公表されてなくて、
材料セットのようなものもなく、
とも巻き結線とか、捻り結線とか普通に出題される時代であった。
(とも巻きの部分は電コネになる過渡期)

3回ぐらい実技試験を受けてやっと合格できた。

年に1回の試験。3年かかったと思う。

塗装工をしながら電工の勉強していたので、合格する頃は塗装もある程度出来るようになっていた。

資格を取得したのでビルメンなどに就職しようとするが、未経験がダメなのかなかなか転職出来ずに
仕事を辞めハローワークからポリテクセンターに入校した。

そこでは電気工事の資格取得を目指すという内容だったけれど、持ってないことにして入校させてもらった。

ポリテクセンターの卒業間近に家の近所の電気工事屋に就職した。

家庭用太陽光発電の点検をやることになった。

先輩は家庭用太陽光発電工事の施工監督をしていて、
自分は先輩の補佐も担当した。

某巨大パネルメーカー側の監督との最初の顔合わせで言われたことはハッキリと覚えている。

「人には上下はないと習ったよな?人間は皆平等だと。だけどちがうけ。おれとお前は明らかに上下がある。
俺が上でお前が下。そこをわきまえろ。」
この言葉を、
自分は今度○○電設に入社した、なになにです。
という言葉の返しに言われたのだった。

凄い所に来てしまったと思った。

しかし、その頃は結婚したばかりで
妻と赤子がいたので辞める訳にもいかない。

自分の後輩になるべく人がそれから数人入社したけど、
この○○さんとの最初の会話で1週間以内にいなくなる。

結局辞める寸前まで自分には後輩が出来なかった。

この○○さんの同僚もなかなかの人達だった。
全員広島の方々で、アタクシ、丁度
仁義なき戦いを見ていたんだけど、
全くあんな感じで脅しというか話してくるのだ。

なかなか過酷な毎日だった。

そんなヤクザな感じの現場監督を相手にしながら、
こっちは下請けの電気屋さんや職人さんを使って仕事しなくちゃならない。

現場に入ってわずか1ヶ月ほどで、自分の先輩が辞めた。

数年前から辞める辞めるといいながら仕事していたそうだが、後か続かなくて
自分が1ヶ月持ったので先輩は辞めることができたのだ。

現場経験も技術もない自分が、現場監督をすることになった。

規模は小さいんだけど、
太陽光発電のパネルを設置する業者、電気工事業者、水道屋さんを引き連れて1日で終了させる。

何もかも未経験だったので、最初のうちは業者さんに工事を教えて貰っていた。

業者さんがミスをすると、全部自分の責任にされて、
例の広島弁でかなり怒鳴られ、反省文を書かされる。

夜の22時、会社のファクシミリから事故報告書と対策書を書いて送るというのを何度もした。

自分の仕事内容は
①現場調査、
材料を洗い出し、配線をどのルートで通すか、
壁に入線出来るか、出来ない場合のダクト工事のルート。引き留め金具は適正か?など材料手配。
水道部材の洗い出し。
水道管の種類や施工方法を検討、材料手配。
パネルの施行において、予備瓦の手配、屋根の垂木調査
など

②電力会社にお客様設計図作成、提出、連系日の調整。

③職人の手配。後半電気工事屋さんが逃げてしまって自分が工事屋さんになったこともある。

④施行日当日の現場管理。1日3現場ほど同時にうごくけど、自分が見ていない現場で何かあっても自分の責任になる。

⑤月の初めは現調がおもなので、午前中は太陽光発電の1年点検。自分でアポをとり、ひたすらお客様の家を回る。

というような、一体何人分の仕事をやってるんだというようなことを1人でやっていた。

お昼ご飯も食べる暇なんかなくて、運転中に食べながら移動する。

朝の7時20分朝礼、夜は毎日21時頃まで働く。

朝礼から、現場入場、現場仕事しながら、たまに現調や点検で抜け出し、取り付け終了後、お客様に取り扱い方法を教える。

PVモニターの見方やら、IHの使い方、電気温水器の使い方とか。

会社に帰ってきたら、あと片付け。

次の日の荷物の積み込みや材料洗い出し。買い出し。

そして、お客様設計図を書いて、始末書があればそれを提出など。

とにかく1日1日があっという間だった。
月に2日ほど休めたのか。

それでも休日出勤手当や残業代はなかった。

これはまずいということで、
残業は事前に社長に残業しますという事前届けを出して許可がでれば残業代が出る決まりになった。

残業しますって意気揚々と申告した同僚が、
「最初から残業するってお前は気合いが足りないのか!」

と怒られてる様子を見て、誰も事前に残業届けなど出す奴はいなかった。

当時は笑っていたけど、今思うと全然笑えないブラック
コントである。

仕事でクタクタになって帰ってくると、
他の現場(水道工事もやっていた)に駆り出されることも何度もあった。

建設中のマンション一室一室に便器を運ぶ仕事はかなりきつかった。

道路の漏水により緊急出動とかもあった。
冬の漏水は冷たい。

わずか2年の経験だったけど、
1日12時間以上働いていたので、4年分の経験は得られたんだと思う。

家庭の電気工事、IH工事だとか、電気温水器の工事だとか、分電盤切り替えだとか、コンセント増設だとか、
入線だとか一通り出来るのもその頃の経験があるからだと思う。

今もこの会社は存続していて、かなり大きな会社になっている。

会社の半分以上の売上を上げてきたつもりだったけど、社長からはお前の給料分赤字って言われていた。

月20万のお給料のアタクシが
多い時は1000万は純利益上げていたはずだけど赤字ってどうなの?とは思った。

そして、その言葉も辞めるきっかけになったし良かった。

当時の人は誰も残っていなくて、
自分が残っていれば部長かなにかになっていたはずだけど、
多分体が持たなかったであろう。

辞める前はかなり前向きに仕事するようになったせいか、かなり立ち回りがよく動けるようになった。

広島弁のヤクザみたいな監督とも仲良くなれて、
○○ちゃんとあだ名で呼ばれるようになっていた。

初めて関係改善できたので、次の担当者からは楽に仕事が出来たと思う。

自分がいなくなると、
職人さん中には、この仕事から手を引くって言っていなくなった人もいたようだし、
それなりに慕われたのかもしれない。

この会社でかなり、怒られたのでどうすれば怒られないようになるかということを学んだ。

それを次に記したい。

現場で怒られないようにする方法 残り176日、261日

20代後半、電工時代毎日のように怒られていた。

何1つ解らないまま実戦投入されたので、
1つ怒られることによって1つ何かを得るという感じであった。

なぜ怒られたのか、なぜ怒りたくなるのか、
怒られにくくする方法はあるのかは、
この歳になってようやく整理がついてきたのでまとめたいと思う。



現場で怒られないようにする方法

①声を出す。
行動によって怒られるのか、
声を出したことによって怒られるか比較すると、
やはり、行動によって怒られる方が頻度が高いし、
怒りのボルテージが大きい。

新人のうちは何かやる前に1度声を出した方がいい。
復唱のクセをつける。

例えば先輩にあのスイッチ押してとか、
ブレーカー切ってとか、工具取ってとか言われる。

その時、では○○のスイッチ押してきますといってその場を離れたり、
先輩が近くにいる場合は実際に押す前に
○○のスイッチ切ります!
と宣言して切ったりする。

もし違ったスイッチを切った場合、
何切ってんだバカ!と言われるが、
事前に言うことによって、違う、○○のスイッチ
とか確認もできる。

ブレーカー操作とか、最も大事でこれは周りに分かるように○○ブレーカー開放!とか、投入!
とか言うクセをつける。

電工の時も接地抵抗とか、
絶縁測定とかいろんな試験あるけど、都度声を出す。
声を出すと仕事出来る感も自然と出る。

工具なども取りいく前に、
では○○取ってきますとか、
渡す時にこれ13番のメガネですとか言って渡す。

怒られると萎縮してしまい、声が出なくなるけど、
頑張って声を出したい。

声を出してから、アクション。これ大事。



②行動を予測する
なんだかんだ言って単純な作業の連続であるので
○○をしたら、○○をするというのはあると思う。

例えば機械の取り付けの場合でも、
脚立のセッティングだとか、
この工具使うなとか、
この工程の次はこれだなとか、

自分が実際に手を出さなくてもするつもりでそばに立つ。

これを意識して先輩を見ていると、
先輩の次の動きが予測出来るようになる。
次は絶対これだ!と思ったら声をだして行動する。

先輩にこいつ、気が利く奴だと思われると怒られ回数も減る。



これは生活でも大事であり、
運転、買い物、家族への接し方、デートなど
行動予測のトレーニングはいつでも出来る。

難しいかもしれないけど人間観察から始めてみる。



③とにかく謝る
何か怒られて、自分は悪くないと思ってもとにかく謝る。

謝ることにより嵐が過ぎ去るの待つ。

実は怒り続けるというのは凄くパワーを使う。

反論すれば燃料が投下され、
さらなる怒りパワーを供給することになるので、
ひたすら謝り相手のパワーの消耗を待つ。

これは謙虚さにも繋がる。

大物ほど志は高く腰が低い。
と思えば自然と腰も低くなる。



④褒める。
何でもいいのでとにかく褒める。

先輩がやった事、持っているもの、乗っている車、
同僚とか後輩でも何か褒める要素があれば言葉にだす。

自分は巨人嫌いなんです、日産がキライです。
というよりも、広島のこういう所が好きでだとか、
トヨタのこういう所が好きでとか、好きだと言うのを発信しながらアンチがいた場合のためにも逃げ場を作る。

ネガティブ意見よりポリティブな言葉を発した方が、
運もよくなり怒られ要素が少なくなると思われる。

どうしようもない変な人がいてもその発想出来るのはある意味凄いですねぇとなんとかポジティブに丸める。

そして自分が褒められたら、
素直に「ありがとうございます!」と答える。

練習あるのみ。



⑤笑顔で挨拶
先輩が朝から機嫌が悪くても知ったこっちゃない。

一発目は笑顔でおはようございますという。

これを続ければ自然と自分の周りに人が寄って来るようになり、

朝から機嫌の悪い人には誰も寄ってこなくなる。

自分も笑顔の人と仕事がしたい。

挨拶にスランプなし!ホントこれ。



⑥勉強する
仕事出来る人というのは実は裏で努力している。

そして、何もしないと人に抜かれる。

先輩などの前で勉強するといびられる可能性があるので注意する。

先輩よりもこっそり知識つける。

これはかなり大事なことである。

先輩が電工2種しかないなら、電工1種をこっそり勉強。

電工1種なら、セコカン、電験をこっそり勉強。
現場でもきっと役にたつだろう。

現状の保険、そして脱出口。

勉強はいつか絶対に身を助ける。





以上だと思う。

これらを実践してもなおも怒られ続ける場合、
いよいよその環境からの脱出を考えた方がいい。

声をだして、笑顔で挨拶して、気が利いて謙虚で、何かとポジティブな奴を嫌う方がおかしい。

個人に嫌われたとしても、周りはちゃんと見てくれているので、
いつの間にか自分の周りに味方が増えている状況になっているはずだし、

その時は理不尽な先輩の方が居心地が悪くなり消えている可能性が高い。

少なくともアタクシは上記を実践して今に至る。