電験寺のこれまでの戦歴と今回の反省

2次試験の勉強を始めたいところだけど、
自分がこれまで何をやってきたか、
忘れかけているのでまとめておこうと思う。

国家試験挑戦は20歳の頃、危険物丙種を取得したのが
スタートであった。


その後、3年をかけ第2種電気工事士を取得。
2007年電気工事会社に入社。
2009年ビル管理会社に転職。
2010年ボイラー2級、2冷を取得して
それからは毎年なんだかの試験を受け続けている。

vs特定建築物衛生管理技術者
2011年 〇

vs電験3種
   理電機法
2012年 ‪✕〇〇×
2013年〇一一〇

vsエネ管
   法基電応
2014年〇〇‪✕‬〇
2015年一一〇一

vs第1種電気工事士(実技)
2014年 ‪✕‬
2015年〇
vs一級電気工事施工管理技士
2016年 筆記◯ 実地◯
vs消防設備士
2016年甲4〇乙7〇

vs第2種電気主任技術者
    理電機法ニ
2017年 ✕‬‪‪✕‬◯◯ 一
2018年 ‪✕‬◯一一一
2019年 〇‪‪一一一‪‪ ✕‬
2020年 一一一一‪‪✕‬
2020年 転職する。
2021年 ‪‪ ✕‬‪‪〇‪‪✕ 〇一
2022年 ‪✕‬‪一〇一一

気づけばこのようなことになっていた。
40代は電験の勉強で消えてしまうだろう。

夏になったら電験を受ける。
毎年何らかの国家試験に挑戦する。
毎日試験までのカウントダウンをして生きてきたが
それも悪くなかったと思う。

ビル管理という体力的に楽な仕事に転職し、
これではダメになってしまうと感じ、
せめてプライベートだけは
勉強して切磋琢磨しようと思ってきた。

国家試験は少なくとも2年以内に合格してきたので、
まさか7年も足止めをされるなど自分も想定出来なかった。

今回の理論。
問一を見た時に何かヤバいと思った。

解ける問題からと思ったけれど、
見たことがあるのは磁気の問題ぐらいであった。

試験中頭が真っ白になるという、例の発作のようなものが出てきそうになったけれど何とか気力を振り絞る。

間違っていても、全然分からなくても
答えは選択していた所を見ると
解答を引き寄せる嗅覚みたいなものは残っているみたいだ。

新幹線の中で答え合わせをした。
例のカフェジカさんのサイトは、数時間後には
解答速報を出している。

採点後もしかしたら、
これで会社をクビになってしまうかもしれない。
そう思うと帰りの道中も生きてる心地がしなかった。
いっそこのまま楽になりたいとよからぬ考えも浮かんだ。

試験3日前まで全く頭に入らず
仕上げ率21%の機械。
試験の前日、試験直前ギリギリに33%まで仕上げ、
70点取れたことだけが救いだった。



多分、前日の勉強を理論に振っていたら、機械も落としていたことだろう。
だからか、理論をおとしてしまったことに対しては、
そこまで悔しさがない。

今回の理論は付け焼き刃でどうにかなる問題ではなく、
基礎をちゃんと積み上げて来た人には簡単に思える試験だったのかもしれないからだ。

弱点が洗われているはずなので、
冷静に試験後の分析をしたい。
正直これまで、試験後の分析をしたことがなかった。
それも敗因だろう。

電験二種の試験は1度リセットを食らうとそこで
諦めてしまう人が多い試験ではないかと思う。
2度リセットを食らうと完全に心が折れてしまうかもしれない。

なぜならその時点で勉強開始から、確実に5年は経過しているはずだから。

「人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いてしまうのだと思います。」

というアントニオ猪木の言葉がある。
辛い時はいつも心の中のアントニオ猪木がマイクを持って語ってくれるのだ。

アタクシの挑戦は無駄なようでいて、
きっと誰かの役には立てて貰えるではないかと思う。

マウントを取ってもらって優越感に浸ってストレスを解消してもらうのも結構。

そして、今、挑戦を諦め去ろうとしている人たちがいるとして、

せめてポンコツ電験寺よりは勉強を続けよう、
何かの挑戦、歩み続けようと思ってくれる人がいるとしたら、アタクシはその言葉によって救済され、
また今日明日と研鑽を続けようと思うのだ。

ワスは電験界の勉三さんとして、これからも勉強を続けるだす。