日記を書き続けるということ。残り171日

今日は2時半頃起きた。

すぐには勉強する気になれなかった。

上がり調子だった気持ちもなんだか少し冷めてしまったのだ。

だけど勉強は続ける。

何故勉強を続けるのかは分からないけど、
習慣化され辞めることが出来ないのだ。

3時に勉強を開始した。

勉強日記をもうかれこれ6年ほど書いている。

ということは、勉強も6年ほど続けている。

いろんな人が勉強日記をつけ、いろんな人がいつの間にかいなくなった。

アメブロにはアタクシの先輩方がまだブログを続けている。

それをたまに読みに行く。

電験日記の類も沢山見てきた。

合格したら、そのまま閉じる人もいるし、

不合格のまま消えて行く人も何人も見てきた。

不合格者のコメント欄は結構辛辣なコメントがある。

オーバーキル的なものだ。

アタクシはそれを読み心を痛める。

そういうコメントを貰うために日記を書いているのではないだろうなと思いながら、フォローのコメントをいれる。

アタクシも合格者に結構厳しいことを書かれ、
ブログをしばらく閉鎖した事があるので気持ちがわかるのだ。

不合格というのは、平静を装いつつも結構ダメージが大きい。

ダメージは努力の大きさに比例する。

努力すればするほどダメだった時のダメージはでかいのだ。

それを乗り越えるには結構根性がいる。

受験して心が折れた人は、数字にも現れるけれど、

受験前に去る人は数字にも出てこない。

電験という資格の挑戦者は、数字にも出てこない人も大勢いる。

アタクシが日記を書いているのは、勉強を続けているからだ。

勉強の記録を付けながら、その時にどんな気持ちだったのか、何をしてきて、これこら何をするべきかのリアルな気持ちを書いている。

勉強を辞めた時にこの日記は終わるだろう。

予告して終わるのか、突然消えるのかわからない。

出来ればお世話になった人達にちゃんとご挨拶をしてから辞めたい。

日記は通勤途中の唯一の心の整理する時間として、これからも続けていく。

いつか自分が読み返した時、どんな気持ちになるのだろう。



未来の自分へ

元気ですか?

まだ勉強続けているようですね。

その後電験2種は取得できたのかな?

今は何の勉強をしているかは知らんが
とにかく頑張れ。

過去の自分より。

泥にまみれる。(比喩) 残り169日

今日は3時頃起きた。

昨日は休みだったので、夜7時ぐらいから、勉強していたら、いつの間にか22時になっておった。

夜も勉強をしたいところだけど、

朝の勉強に支障があるかもしれないので時間に注意である。

いつも使っている理論の15過去問を会社に忘れてきてしまったので、

本日の理論の勉強は年度別の理論の問題集を使って、解いて見ることにした。

2時間で2年分の問題を解くのが目標である。

本番でも初見の問題を65分で解かなければならないので何度も解いた問題ならば解けて当たり前のノルマである。

まあ、なんと言いますか時間内に解けなかった。

やはり、考慮時間が長い。

解法を決め淡々と計算するという稽古が必要かと思う。

静電気から磁気回路、直流、三相、過渡現象、電子回路と一通り通れるので、 早いとこ年度別移りたいところだ。

電験2種の問題を解いていると、何となく3種の問題が簡単そうに見える時もある。

だけど忘れてはならないのは、それを解けるようになるのは、物凄く努力をしたということ。
(自分は)

だから決して今勉強している人に対しては、あんなもん簡単ですよとは口が裂けても言わないようにしたい。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。

である。

電験三種の勉強の時も右手にペンだこ出来て、
ペンが握れなくなるぐらい計算しまくった。

結局根性だった。

自分は
根性を強制するつもりも、強制されるつもりもないけれど、

自分が電験に合格出来るとしたら、根性が左右することになるだろう。

それは、絶対に忘れない。

技術にしてもなんにしても、いつまでも挑戦者の気持ち、修行僧のような気持ちで取り組んで行きたい。

スタイリッシュを追求しようとしたけど、
やはり自分には泥臭さが似合う。

そんなことを実感した。

電験寺の日々。残り166日

電験寺の朝は早い。

3時にスマホのアラームが鳴る。

それを止め、起きる。

スマホは机の上に置いている。

起きなければ止められない位置だ。

アラームを止め暫く考える。

勉強の目的とか人生とか様々なことを。

そして、意を決して勉強を開始する。

すんなり問題を解ければいいが、そんなことはない。

ほぼほぼない。

すんなり解けるならば、勉強はしない。

なぜ繰り返すのか?

出来ないからだ。

そんな禅問答を繰り返しながら、

今日も出来ない問題を繰り返し解いている。

解説を読むまでは理解出来ても、1週間も経てば忘れている。

納得したはずのことをすっかり忘れているのだ。

心が折れそうになる。

しかし、そんなことを5年、6年と繰り返すと、

忘れることが当たり前になってしまった。

だけどといって、忘れてばかりでもない。

人に解説が出来きそうな問題もあることはある。

解説の解説までは出来る問題もあるのだ。

テキストやノートに書き込んでいても、

それは試験会場に持ち込める訳では無いので、

いかにそれを頭の中に焼きつけるかという作業である。

今使用している理論の15年過去問は、

電験三種合格直後に購入したものだ。

次は電験2種だ!と買ったものの、

エネカンに2年とセコカンと消防設備士に1年

のブランクが空いたので、

実際使用し始めたのは3年前になる。

今でも書き込むことがあるので、結構ボロボロになってきた。

頭のいい人にあたったら、こんなに汚れなかったのに済まないなーと思いながら、

一緒に過ごしている。

そろそろこの問題集ともお別れなのかと思う。

寂しいのような気もするが、

やっとこさ年度別の過去問マラソンに進めそうなのだ。

エネカンの勉強するにあたり数学入門帳の亀さん師匠に微積分をならってから、5年。

やっと、理論の過去問マラソンができそうなのだ。

長かった。ホントに長かった。

無理だと思っていた2種の理論も石の上の3年目の勉強でなんとかなりそうなのだ。

今までは1日、2時間半の勉強目標でやってきたけれど、

今週からは、1日3時間、週に21時間問題目標に切り替える。

電験寺はさらなる修行に入るのだ。

やっぱり根性。残り164日

勉強がうまく進まない。

こういう時は、思いっきり苦労した話を読んだりする。

合格体験記読んで
「取得までに10年かかった。」

とか読むと10年間途切れなかった根性にひたすら敬服するのである。

つい最近、僕は誰にも根性を強制するつもりされるつもりもないと書いたけれど、

自発的な根性こそが、自分を変える術だと思っている。

自分自身に変化を与える作業を繰り返すので、
自発的でないと意味がない。

そして他人に対して僕は、その自発的な行動をひたすら応援し続けるのみである。

日記にもいろんな方がコメントを残してくださる。

どれもためになるお話で本当にありがたい。

自分もそれに応えようと勉強を続けている。

たまに進路の相談や勉強の相談を受けることもある。

それは、今まで僕を助けてくれた方々への恩返しだと思って答えるようにしている。

そしてコメントを残してくれた方々が、
電験合格しました!

と報告してくれることが自分の事のように嬉しく思う。

つい最近も自分と勉強のスタイルがよく似た方が、電験2種を突破された。

禁欲、そして根性。

僕よりも先輩の方なので、僕は年齢で逃げることも出来ない。

自分で勉強してて、合格する人は本当に苦労したんだろうなと感じる。

とてもじゃないが生半端な気持ちでは、合格出来ない。

どんどん失う記憶に対して、それ以上に勉強を重ねていくのだ。

心が折られまくったとあるが、本当のことだと思う。

心がポッキー。

僕の心も既に折り目がついている。

そして合格後は違った景色が見えるようなので、
自分もなんとかその頂に立ちたい。

電験2種を取得して、

一冷でクールダウンし、

宅建、管業、マン管のトリプル取得。

そこまでが自分の定年までの目標なのだ。




電気の資格あれこれ。残り163日

自分は一応は電気を取り扱うという仕事をしているので、

電気の資格をいろいろ持っている。

取得順に並べると、

第2種電気工事士

電験3種

エネルギー管理士

第1種電気工事士

1級電気工事施工管理技士

という順番である。

似たような資格であるけど、
それぞれ役割がある。

電気工事士は電気の工事をする資格。
これはとにかく体を使わなくてはならない。
自分は住宅配線特に、電気温水器、IHクッキングヒーター、太陽光発電を取り付ける工事及びその施工管理をしていたので、

天井裏にもぐったり、床下を這いずり回ったりしていた。

電験三種は、電気設備の維持管理をする資格なので、主に日常点検をして過ごす。
日常点検で、軽微のまま不調を発見出来れば、
大事にはならないので、工事などはほぼない。
大規模な工事、1年点検などでは監督、責任者となる。

エネルギー管理士は、自分の現場では役にたつことはないのだが、会社や工場のなどのエネルギー消費量やコストを計算する事務屋さんと
認識している。

第1種電気工事士は、500kw未満の自家用電気工作物の電気工事をする資格である。
第2種電気工事士との違いは、一般電気工作物に加え、自家用電気工作物が工事出来るという点。

合格=免許ではなく、免許を得るのに電気工事の経験が5年必要である点である。

合格後、認定電気工事従事者認定講習という、
長ったらしい講習を受けることで、
自家用電気工作物の、低圧部分の工事、
600ボルト以下の部分の工事を行うことが、出来るが、これは知らない人も多い。

500kw未満の自家用電気工作物の電気主任技術者にもなれる資格である。

ほとんどが500kw未満の電気工作物であるが、
そのほとんどは保安協会などに電気主任技術者を委託していると思われる。

500kw以上の電気工作物の工事は電気工事士の免許は要らないが電気主任技術者の監督が必要である。
その場合、構内での事故は電気主任技術者に責任があるので、誰でもかれでも工事させていいという訳にもいかない。

1級電気工事施工管理技士は、
電気工事を行う際の監督をする免許である。

いわゆる現場代理人も兼ねる場合が多い。

この資格単体ではあまり意味がなく、
この資格を取得することによって監理技術者になれるという点に意味がある。

監理技術者とは、特定建設業(つまり、発注者から総額4000万以上、建築一式を、請け負う場合は6000万以上の下請契約を締結するもの。)
が、工事をする場合に
工事現場に配置される元請けの技術者である。

これになるには、
所定の経験を積むか、技術士になるかという道があるが、1番最短のルートは、
第1種電気工事士免状取得からの1級電験工事管理技術検定合格、そして監理技術者資格証発行並びに監理技術者講習受講(両方ともそれぞれ5年間のみ有効)

なのである。

長くて何書いているか解らなくなってきたが、

とにかく一重に電気の資格といっても、
いろんな立場のいろんな業種のいろんな役割を
持つ資格があるということである。

上に書いたことは、ほぼ自分の記憶にあるものなので、解釈が間違っているかもしれません。

興味のある方は、裏取りをしてください。
あらゆる情報に言えることですが(´ヮ`;)

今日は3時前に起きて勉強開始。

戦術の誤植を発見した。



誤植は焼却だー!

の気分で進めてます。


資格の燃料源を探す。残り162日

資格の勉強を続けるには、

何らかのエネルギー源が必要である。

元々勉強は好きではないし、

もっと寝たいし、本当はまったり過ごしたい。

そういう気持ちに資格の勉強を続けるという意思が勝つためには、

絶えず何らかのエネルギーを心に投入し、

勉強を続けていかなければならない。

まずは収入面。

自分の取得した資格たちは資格手当となって帰ってくる。

これは月々安定してもらえるので、

いわば家賃収入みたいなものだ。

そして、保険としての役割。

資格を取得したことで、それに応じた仕事が増える。だけどこれは後々、実務経験として加算される。

電気工事士、電気主任技術者、そしてビルメンとしての経験。

仮に会社が倒産しても少しでも、有利に再就職活動ができるのではないかという保険だ。

次に心の充実。
仕事を遂行する上で不安になることもある。
そんな時、資格の知識が少しでも残っていれば、
調べたりする時でも、多少は早く問題解決の糸口になるのではという心の安定。
それを得るための勉強である。

家族。
一家の主人として家族を支えなければならない。
そういう思いも資格取得のエネルギーになっている。

会社の不満。
変な人と仕事をしなければならない。
嫌味を言われたり、パワハラに近いことをされたりしながら仕事をしている。
そういうイライラも資格取得のエネルギーに変えている。
完全に頭にきた時は会社を去ろう。
そのためには実務経験を得ながら資格を取得しておこうという発想である。

入社以来、そういう思いでずっと勉強を続けてきた。

嬉しい気持ちも、悔しい気持ちも、日常のちょっとした幸せも全て資格取得の燃料になっている。

僕は勉強が得意な方ではない。

どちらかと言うと
要領が悪い方だ。

それでも続けていればいつのまにか
何かが大きく変わる時が来るだろう。





技術士になるための10年計画。残り160日

30代あたりから常に10年後の自分を想像して生きている。

こうなるだろう、こうなりたいという思いがあり、それに向けてコツコツと何かをしているわけだ。

30代の頃は電気工事士として、電気の世界に身を投じたものの、毎日仕事に嫌気がさし、
危うく精神と体を壊して廃人状態になりかけた。

その時でも、将来は工事ではなく設備を管理する人になりたいという思いがあった。

友達の助けがあり転職出来た。

ビルメン業界という今までと労働環境が違う所であった。

給料を高くするには資格手当で増やす必要があり
電気主任技術者になるという前に、ビルメンとしての資格などを取得していく。

入社して8年でやっと電気主任技術者になった。

電工時代に電気主任技術者になると思ってから8年。

一応10年計画に間に合った。

電気主任技術者に選任されそろそろ5年経とうとしている。

計画では選任5年後に保安協会に転職するという予定であった。

しかし、今分岐点にいる。

会社で昇給、資格手当、役職手当などが付き転職後の金額面と仕事の負荷を比べた時、転職しなくてもいいのではないかと考えるようになったのだ。

それと電験二種の勉強を開始したこと。

これは自分でも予想外のことで、10年前の自分は電験3種でいっぱいいっぱいで電験2種に挑戦するはずはないと思っていたのだ。

しかし、今は電験二種勉強を続けている。

すでに3年目に突入した。

保安協会に入会したら電験2種は必要ない。

それが今まさに。電験2種に挑戦するというのは、自分自身新たな道を見つけたからだと思う。

笑われるのがイヤであまりこういうことを書きたくないのだが、
実は自分の勉強のゴールは技術士ではないかと思っている。

今の会社には技術士になった人、目指す人はいないけれど、会社の経営方針を見ていると、将来技術士が必要になるのではないかと予想している。

技術士は設計、計画、評価、研究などの専門的な経験が必要であり、普通のビルメンでは実務経験を得るのは難しいけれど、

新規現場の立ち上げに関わりコンサル的な仕事をすれば実務経験を得られると思う。

それには、それ相応の部署に異動、またはそういう部署があるビルメン会社に転職が必要である。

その武器となるのが建築設備士という資格ではないかと思っている。

建築設備士はビルメンかつ電気主任技術者としての選任経験2年で受験出来そうだ。

建築設備に携わる経験でもいけるのだが証明が難しいが、ビルメンかつ電気主任技術者というのは紛れもない事実である。

すでに3年前あたりに、この点に注目して過ごしてきて、こういう方法もあるはずなのに実際なった人が見つけられなくて、机上の空論なのかなと半分諦めていた。

しかし、最近見つけた。

ネットなどではなくそういう人と名刺を交換したのだ。

あとは年齢である。

電験二種は資格取得の資金源、将来の太陽光仙人のパスとして欲しい。

勉強は続ける。

だけど10年後の自分は、今とはかけ離れた所に置こうと思う。

それが今のモチベーションになるのだ。

初心を思い出す~残り159日

久々にアタク氏の数ある電験師匠の一人の方に
コメントを頂いた。

3種の時からいろんな方に助けて頂いたけれど、

3種からエネ管、2種への橋渡し的なことをして頂いた方である。

これまでアタクシは二回の一次試験に失敗しているが、

心が折れずに続けてこれるのもその電験師匠のおかげである。

アタクシも将来電験2種を取得した時は、
電験の勉強に悩む人たちの何かの手助けがしたい、それをする事が今までサポートしてくれた方々への恩返しになるのではないかと思っている。

またツイッター上では技術者同士が論戦していている。

俺の方がすごいんだ。というマウンティングを周りに仕掛けている。

本当に凄い人は、自分でわざわざ言わなくても言葉の端々から凄さというのが滲みだてくるものだと思っている。

凄いだろ?と思わせるののではなくて、この人は凄いとみんなが思うのである。

それが真の凄さだ。

そして本人はイヤイヤ俺は大した事ない。と謙遜するのである。

謙遜というか本当にそう思っていて、

謙遜した裏には飽くなき探求や鍛錬みたいなことを続ける。

凡人のアタクシはなお一層追いつかない。

アタクシに手を差し出してくれる方々は何も語らずとも凄い。

尊敬できる人々である。

最終的には技術者としての思想、倫理、生き方などが技術にも現れてくるのではないかと自分は考える。


今日は残念ながら寝坊してしまったけれど、

電験2種の勉強は続けていく。

久しぶりの過渡現象。

まだまだ追求する箇所がありそうだ。


たまには旧友を思う。残り157日

昨日は、スクーターのブレーキの修理をした。

ブレーキが抜け気味で、フルードを交換したけれど、スカスカ、

キャリパー側のピストンパッキンを交換したけどスカスカだった。

この度マスターシリンダー内のピストンを交換し無事に、ブレーキが治った。

2001年式のシグナスSVというスクーターだ。

友人が新車で購入し3年ほど乗って他界した。

生前自分に譲るような言葉を残していたらしく、
自分の元にきた。

3万キロほど走っただろうか。

18年で3万キロだからたいした距離じゃないけれど、あちこちにガタがきている。

だけどエンジンは絶好調だ。

乗る機会も減ったけれど夏にはオイル交換をしたい。

部品の供給が止まるまで自分で整備して乗り続けたい。

自分が勉強を続けるのも最後に友人と交わした将来についての会話がずっと頭に残っているからだ。

アタクシは電気の道を志すために独学で電気工事士の勉強をしていた。

友人は音楽で生計をたてようとしていた。

その時にお互い進む道は違うけれど頑張ろうと言葉を交わしたのだ。

友人は志し半ばで亡くなってしまったので、アタクシは友人の分も何かをやり遂げないと行けないと思っているのだ。

3種は友人に捧げる資格でもあった。

電験2種は自分への挑戦。
電験2種の道のりは想像していたよりも遥かに大変である。

原点の部分で混乱する時もいまだにある。

問題が解けると嬉しいし、解けないと悔しい。

Twitter上には電験の神のような存在の方々がいる。

テキストに掲載されていないようなシンプルな解き方で解いていたりする。

素直に凄いと思う。

凄いと思うだけではなく、彼らに教えをこい導いて貰おうと思っている。

自分はまだまだやり込みが足りないので、疑問点が浮かばない。

いろんな人に助けて貰って電験2種を取得したい。

宜しくお願いします。m(_ _)m

やりがいを求める。残り156日

昨日、理論は電気計測のところに入った。

相変わらず真値と実測値の問題で頭が混乱し、

実効値と平均値を求める積分の集大成みたいな問題で頭が叩きのめされる。

何度解いても直ぐに解き方を忘れてしまう。

多分、電験2種を合格しても直ぐに忘れてしまうだろう

いや、逆にこういう問題をスラスラ解けるようになった時が合格の時なのか。

電験2種に挑戦を開始してから、3年経過した。

結果を出すために長期間を必要とするので、

合格することがやりがいだとしたら、

3年経てばとっくに折れているだろう。

合格という一つのゴールはあるけど、

この問題が解けるようになりたいだとか、

このテキストをいつまでに終わらせたい、

だとか細かい目標や計画があって、それを達成することをやりがいとしている。

その積み重ねの先に、電験合格というゴールがあるんだと自分に言い聞かせている。

Twitter、スタディプラス、最近はInstagramも始めた。

重複する人ももちろんいるけど、それぞれの界隈の人とも繋がっていく。

繋がりを持つということも、モチベーションになっている。

他人の勉強の様子、ノートや筆跡を見るのがとても好きなのだ。

今日は、3時頃起きて、二次試験、戦術のノートまとめをした。

ベクトル図を描かないと、解けない。

逆にベクトル図さえかければ、解けるのだ。

久しぶりに
紙田先生の本を開いた。

前はちんぷんかんぷんだったけれど、やっと参考にさせてもらった。

紙田先生の本がスラスラ読めるようになった時が、ようやく本格的なスタートではないかと思っている。